A.V.C 64(Series181)
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C58(両毛線貨物列車)~最後の活躍 
今週末は両毛線でC61が走るということなので、蒸気機関車時代の両毛線の写真をご紹介します。
電化前の両毛線ではC58が活躍していました。その前はC50だったと聞きましたが、更に前は…調べていません。
両毛線の開業は1884年(明治17年、高崎~前橋間)と古く、遡るのも一仕事なので詳細は止めておきます。
この写真はC58 211号機ですが、既に架線が張ってあり蒸気機関車時代が終焉期を迎えていることがわかりますね。
両毛線の電化は1968年(昭和43年)には完了しており、自分は幼児期に煙を吐いて走る機関車を親に連れられて見に行った記憶がかすかにあるだけです。
実は、この写真は(そのときかどうかわかりませんが)父親が撮影したもので、撮影日などはわかりません。
ただ、場所は、先日ご紹介した「EF15」の写真と同じ前橋~駒形間ということは自分の記憶にある周りの風景で判断できました。
なお、「EF15」の写真は下り列車を撮ったものでしたが、この写真は上り列車になりますね。
試運転は無理なので週末の本番はC61を撮りに行こうかなと思ったのですが、この場所はもうないのですよね。
185系(新特急草津)~横ストライプの頃 
185系は、153系の置換用として1981年(昭和56年)に東海道線に投入され、翌1982年(昭和57年)には165系の置換用として200番台(耐寒耐雪設備や横軽対策を施したもの)が高崎線など用に増備されました。
写真は1988年(昭和63年)の12月に撮影した新特急「草津」ですが、ヘッドマークのデザインが今と違いますね。
場所は吾妻線の小野上駅付近だと思います。
高崎線などの185系は、急行「あかぎ」、「草津」、「ゆけむり」などの165系を順次置き換えていきましたが、もともと急行だった列車を新特急と称して値上げし、停車駅はほとんど変わらなかった(増えたものもあった)ため、評判が悪かった覚えがあります。
なお、この横ストライプの200番代は1982年(昭和57年)6月から1985年(昭和60年)3月まで、上野~大宮間の「新幹線リレー号」としても運行されていました。
京浜急行600形(西武鉄道ラッピング)~秩父・長瀞へ一直線 
このところ京浜急行の電車に西武鉄道のラッピング広告がされた編成が走っています。
何回か見たことはあったのですが撮影する機会がなく、「撮りたいなぁ」と思っていたところ、たまたま京成高砂駅で再会できました。
顔はごく普通、ホーム端までの長い編成だったので手持ちのレンズで入りきりませんでした。
ドアまわり(1)
撮影しているうちに北総鉄道9100系が入って来て、ここまでで終了でした。
先頭車に貼ってあった花火の写真のラッピングポスターが撮れていないです…
西武鉄道を利用していないのでわかりませんが、西武鉄道にも京浜急行の広告がラッピングがされた電車が走っているのでしょうか?
バーターでやっているのかな?と思っただけですが。
なお、以前から記事内において、この9100系を「北総鉄道9100系」と記載しておりますが、正式にはこの9100系は「千葉ニュータウン鉄道株式会社」という会社が保有しているとのことです。
「千葉ニュータウン鉄道株式会社」は、京成電鉄の子会社で、都市基盤整備公団(現都市再生機構)が独法改革で鉄道事業を廃止した時に、線路や駅舎(小室~印旛日本医大間)とともに9100系を譲り受けた(有償)とのことです。
ややこしいので、今後とも北総鉄道9100系と書かせていただきますが…
E233系(中央線)~万世橋駅再開発中 
JR東日本が7月にリリースした中央線万世橋駅遺構の再開発ですが、ビル(左上の角が茶色のビル)がかなりできてきました…といってもビル上部がはみ出ていてわからないですね。
走行中の総武線電車内から汚れたガラス越しで撮ったので画像も悪いし、レンズは28mmしか持っていなかったのでビルが入りきりませんでした。
御茶ノ水~秋葉原間を2往復したのですが撮れたのはこの程度、あと何往復かすれば、もっといいアングルで撮れるとは思ったのですが、そこまでする元気もなかったです…
E233系も常にタイミングよく走ってるとは限りませんし…単に写っているというだけですみません。
ちなみに2006年5月に最後に交通博物館に行った時の写真を以前アップしております。
万世橋駅遺構ツアーに参加して、ホーム上で201系を撮った写真もありますので、よろしければご覧ください。
万世橋駅は1912(明治45)年に開業し、1943年(昭和18年)に廃止されました。
最初の駅舎の設計は、今、話題の東京駅と同じ辰野金吾氏だったとのことです。
ついでに車内から撮ったE231系、秋葉原を発車したところですね。
こちらも対向列車からガラス2枚越しなのでちょっとぼやけ気味ですねぇ。
おまけに、ADULT AMUSEMENT PARKの看板もちょっと…
日本の私鉄(交通博物館のお土産~その2) 
日本の特急(交通博物館のお土産~その1)から時間があいてしまいましたが、その2として日本の私鉄の下敷きをご紹介します。
日本の特急の下敷きは未使用のようでしたが、こちらは良く見ると細かい擦れが見られました。
どうも少し使っていたようです(全く覚えておりませんが…)。
札幌市1000系、東部1720系(けごん)、西武5000系(むさし)、京成AE形(スカイライナー)、京王帝都6000系、
東急8500系、小田急3100系(あしがら)、京浜急行1000系、相鉄7000系、営団7000系、東京都5000系、
名鉄7500系、阪急6300系、京阪3000系、阪神7801系、南海20001系(こうや)、近鉄12100系、山陽3050系、
大阪市10系、西鉄2000系
自分は写真でしか見たことがないものもありますが、1970年代の各社の代表的な形式で懐かしいですね。
EF58 + 20系客車(寝台急行銀河)~東京駅にて 
1978年(昭和53年)10月13日の夜、上野駅で急行「十和田」などを撮影した後、東京駅からEF58 57号機が牽引する寝台急行「銀河」に乗って京都の梅小路蒸気機関車館へ行きました。
(既に、アップしておりましたが、10月14日は日章旗を掲げたC58 1号機が運転されていました。)
「富士」や「さくら」などの寝台特急に乗る機会は結局1回もありませんでしたが、急行とはいえ20系寝台車に乗れたのは貴重な体験でした。
B寝台でしたので、ベッドは子供ながらに狭かった覚えがあります。
それにしても、先頭のEF58以外の写真が撮ってありません(おまけに暗くてザラザラです)。
当時はヘッドマークもありませんでしたし、客車エンドも「急行」と入っていただけだったと思いますが、この列車が「銀河」かどうかについては、メモ以外に根拠がありません。
「行先表示とか車内の様子とかくらい撮っておけよ」と当時の自分に言いたいです…
Peacock & Baldwin(小湊鉄道)~明治・大正の輸入蒸気機関車 
今年の2月、C61が房総半島を走った日に、内房線五井駅の裏側で小湊鉄道が保存している蒸気機関車を見学しました。小湊鉄道はキハ200で有名なので見られた方も多いかもしれませんね。
保存機は3両ありました、まずは…一番古いB10です。
この機関車は、もともと日本鉄道が1894年(明治27年)に発注した英国ピーコック(Beyer Peacock)社製で、日本鉄道が国有化された1909年(明治43年)に5500型(5507号機)となりました。
その後、1930年(昭和5年)にタンク機関車に改造されB10型4号機となり、1946年~1952年(昭和21年~昭和27年)まで小湊鉄道で活躍したとのことです。
[以下、Wikipediaより]
~本形式は80年もの間使用されながら気筒とシリンダの摩耗がほとんどなく、検査時にも気筒のプッシングの必要が全くなかったという。後年、国鉄研究所では、その材質を分析したが、リンの含有量が少し多いという以外、金属の材質からはその理由が全く解明できなかったという~
産業革命時の英国の技術は素晴らしかったのですね。
[以下、Wikipediaより]
~本形式は80年もの間使用されながら気筒とシリンダの摩耗がほとんどなく、検査時にも気筒のプッシングの必要が全くなかったという。後年、国鉄研究所では、その材質を分析したが、リンの含有量が少し多いという以外、金属の材質からはその理由が全く解明できなかったという~
産業革命時の英国の技術は素晴らしかったのですね。
B10型の横には、小湊鉄道1号機と2号機が保存されていました。
この2両は、ともに小湊鉄道が発注した米国ボールドウィン(Baldwin)社製で、1924年(大正13年)にN0.57776~N0.57777号機として完成したものです(組み立ては国内で行ったようです)。
小湊鉄道で活躍していましたが、1956年(昭和31年)に第一線を引退、1962年(昭和37年)に廃車になったとのことです。
165系(急行佐渡)~秋の上越線 
紅葉した山あいをバックに、上越線の津久田~岩本間を上野へ向かう上越線の165系急行「佐渡」です。
先日、上野へ向かう181系ボンネット型特急「とき」をご紹介しましたが、急行「佐渡」は、「とき」と同じ上野~新潟間を結んでおり、この頃は1日4往復が運行されていました。
撮影は、1979年(昭和54年)の10月です。
グリーン車(サロ165)が2両組み込まれているのが豪華ですね。
1978年まではビュッフェ付車両(サハシ165)も連結されていました。
急行「佐渡」は、1982年の上越新幹線開業後もかろうじて1往復が残りましたが、1985年の上越新幹線上野開業により廃止となりました。
当時は181系の撮影がメインで、165系はあまり真剣に撮らなかったことを今更ながら後悔しています。
115系(なつかしの急行かいじ号)~ヘッドマーク付ですが… 
少し時間が経ってしまいましたが、中央線の団体臨時列車として山スカ115系を使用した「なつかしの急行かいじ号」が運行されましたので、先週の土曜日に見に行ってきました。
E655系のお召し列車で失敗したこともあり、送り込みは阿佐ヶ谷で、本番は高円寺で、と思って出かけたのですが、阿佐ヶ谷では東西線に思いっきり被られ、おまけにピントも合っていません。(悲×1)。
その後、高円寺では、前の人たちを避けるため、アクロバット的体制を余儀なくされ写真が斜めに…
挙句(自分は見えませんでしたが)後ろの人たちの乗り出し方が目に余ったようで、駅員さんが怒鳴り声をあげて怒っていらしたので、カメラを早めに引かざるを得なくなり、遠目の写真しか撮れませんでした(悲×2)。
斜めはさすがに修正しましたが、もう少し寄せたかったです。
ヘッドマークは小さい上に、字も細めで見にくかったですね。
昔、国鉄時代に走っていた「かいじ」もヘッドマークはこんな感じだったのでしょうか?
自分にとっては「なつかしの」ではなく「はじめての」だったので、よくわかりませんでした(笑)。
翌日曜日も運転されたのでリベンジに行こうかと思ったのですが、「どうせさらに混んでいるのだろうな」と思い止めておきました。実際はどうだったのでしょうね?
〔追記〕
「ホリデー快速鎌倉号」と「快速むさしの奥多摩号」を自己TBしましたのでよろしければご覧ください。
「ホリデー快速鎌倉号」は、もう183系に置き換えられてしまったようですね。
ヘッドマークは正面ドアを開けることを考えれば、この大きさにしかできないわけですね。
でも開けることはあるのでしょうか?