A.V.C 64(Series181)
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683系(特急しらさぎ)~名古屋にて 
今月、名古屋に行った時に撮りました。
非鉄時代が長かったものですから、何処へ行っても知らない車輌が走っています。
写真は、特急「しらさぎ」のクモハ683-3515です。
そういえば、今はどの鉄道会社もヘッドマークを出さなくなって、記憶のあるうちにメモでもしておかないと列車名がわからなくなりますね。
同じ日に撮った383系特急「しなの」には小さいながらも付いていましたが…
デザイン上の制約が出るからなのか、経費節減のためなのか。
優等列車なのにちょっと寂しい感じです…
PENTAX MX-1~何か違う! 
かなり久々のカメラネタです。
5月3日から国内で販売開始となったPENTAX MX-1というコンパクトカメラです。
4月頃には海外で販売されていたのは知っておりました。
国内販売開始ということで一度見に行きたかったのですが、なかなか機会がなく今週やっとヨドバシアキバで触ってきました(1台しかありませんでした)。
店内では撮影禁止なのでカタログ表紙だけですが…
MX-1の販売価格はヨドバシで45,700円、ボディは真鍮製でズッシリと重みがありました。
形式名の書体は、フィルムカメラのMXと同じものが使われています。
格好もまあまあ良いし久しぶりに興味を持ったカメラですが、少し厚みがあり過ぎる気がします。
可動式のディスプレイ付ということもありますが、MXよりも厚みがある感覚がありました。
(測ってはいませんが…)
あとせっかくMXを名乗るなら(一眼レフではないにせよ)OLYMPUS OM-Dのように頭を三角にして欲しかったですね。
なお、MX-1は、ドイツの権威ある“レッドドット・デザイン賞 プロダクトデザイン2013”の1つに選出されたそうです。
Posted on 2013/05/30 Thu. 06:59 [edit]
category: カメラ(PENTAX他)
土合駅(初夏の頃)~183系「一村一山号」も 
5月29日になってしまいましたが、5月28日に撮った上越線土合駅の写真です。
ただ撮影したのは昨日ではなく1978年(昭和53年)の5月28日で、画面に写っている記念写真用の看板は5月27日となっています。
ややこしくてすみません、昨日の夜アップしようと思っていたのですが忘れてました。
左手に登山に来られた方達が写っていますね。
右手にいる、この場にそぐわない格好をしているのは一緒に行った父親です。
そういえば快速「一村一山号」は上野~土合間で運転されていましたね。
写真は、上野駅で幕回しをしていた183系を撮ったもので、本当は「足利藤まつり号」です(汗)。
この日(5月4日)は特急「とき」の幕が出るのを待っていたのですが、結局出てきませんでした。
土合駅へは、ただ462段の階段を経験するために行ったと思います。
外観や周辺はおそらく今もそれほど変わっていないと思いますが、駅は1985年に無人化されたそうです。
自分も土合駅に降り立ったのは、この時と1984年頃に谷川岳天神平にスキーに行った時くらいしかありません。
まだ車の免許は取ったばかりで雪道の運転に自信がなく、シーズン早々の天神平へ行きましたが、スキー板を持って土合駅の階段を上るのは大変だった覚えがあります。
陸送・保存 & 解体・撤去(新幹線200系)~それぞれの運命 
本日と昨日、上越・東北新幹線200系のニュースが2つ、読売オンラインにアップされました。
1つは、『「団子鼻」外した200系新幹線、未明の陸送』という記事で、3月に引退した200系の先頭車が展示・保存のため、新潟新幹線車両センターから新津鉄道資料館に陸送されたというもの。
もう1つは、『七飯の「団子鼻」お別れ…JR、解体・撤去へ』という記事で、北海道七飯町の函館線流山温泉駅に展示されている新幹線車両3両を、JR北海道が解体するというものでした。
ただ、2つ目の記事など、3両ある全てを解体するなど酷い話だと思われます。
〔陸送・保存〕
上越新幹線の開業時から「団子鼻」の愛称で親しまれ、3月に引退した200系新幹線の先頭車両が、展示・保存のため新潟市に譲渡され、27日未明に新潟新幹線車両センター(東区)から新津
鉄道資料館(秋葉区)に陸送された。

鉄道資料館(秋葉区)に陸送された。
譲渡された車両は1984年製。破損を防ぐため「団子鼻」を外し、トレーラーに後ろ向きに載せて午前1時頃に同センターを出発。阿賀野川の土手や市街地など約15キロを慎重に進んだ。鉄道ファンら約300人が後を追い、2時間かけて同館に到着すると、拍手で迎えられた。
(中略)
市歴史文化課の倉地一則課長は「現役時代に乗れなかった子供たちも鉄道の歴史を体感できるよう、市民の財産として大切にしていきたい」と話している。
SLと一緒に6月22、23日に特別公開され、8月上旬からは常設展示される。
七飯町のJR函館線流山温泉駅に展示されている新幹線車両3両について、JR北海道は28日、解体・撤去作業を始める。北海道新幹線の早期開通を願い、2002年4月の同駅開業時に設置したが、車両の老朽化が激しく、同社は「札幌延伸が決まり、役割を終えた」と説明している。
展示されているのは、1981年10月に製造された200系車両で、車体の緑のラインに「団子鼻」の外観で鉄道ファンに愛された。
東北新幹線の「やまびこ」や「あおば」として地球202周分を走り、2001年9月に引退して、JR東日本が同年11月にJR北海道に譲渡した。車両の解体・撤去作業は6月末までに終わる予定だ。
なお、掲載が不適等のご指摘などがあった場合は速やかに削除いたします。
西武鉄道(山口線)~蒸気機関車527号機 
タイトル名のとおり、今日は5月27日ですので西武鉄道山口線の527号機を紹介します。
正式には西武鉄道5形の527号機というようです。
撮影は1984年(昭和59年)5月4日、この10日後の5月14日に1972年(日本の鉄道100年の年)に開始された西武鉄道山口線の蒸気機関車運転は終了しました。
正式には西武鉄道5形の527号機というようです。
撮影は1984年(昭和59年)5月4日、この10日後の5月14日に1972年(日本の鉄道100年の年)に開始された西武鉄道山口線の蒸気機関車運転は終了しました。
記憶がこんがらかっているのですが、1976年に初めて訪れた後、もう一度訪問したと思うのですが、それはこの時ではないと思うのです。この写真を撮った1984年に自分は西武新宿線沿線に住んでいたはずですが、写真を撮りに行った覚えがありません…でも、写真はあるので、やっぱり撮りに行っているのでしょう…でも、この527号機が動いている写真を撮った記憶があるのです…でも写真は…うーむ。
527号機はこの日は動いていなかったようで、このような写真しかありませんでした。
仕方ないので、もう一台の532号機の走行写真をアップいたします。
527号機は、西武遊園地内のレストランとして使用されていましたが、2011年から台湾(高雄)にある博物館で保存されているそうです。
また、532号機は、北海道の遠軽町にある「丸瀬布いこいの森」で保存されているとのことです。
レール探傷車(GEMCO MFV 3)~115系撮影中に発見! 
かなり時間が経ってしまいましたが4月28日に両毛線駒形駅の構内外れに留置してあった車両です。
保線関係の車両はあまり興味もなかったのですが、ちょっと格好がよかったので撮影しました。
保線関係の車両はあまり興味もなかったのですが、ちょっと格好がよかったので撮影しました。
詳細を調べるのが面倒でそのままになっていましたが、先ほどネットで調べたところ、どうもオーストリアのGEMCOというメーカーのレール探傷車のようです。
「MFV 3」というのがおそらく形番だと思われますが、メーカーでの形式は「RTV-A3」ということらしく関係はよくわかりません(汗)。
もう一つ、「RFD & LITESLICE CAR」と記載があり、RFDは「Rail Flaw Detection System」でレール探傷車のこと、LITESLICEは意味がよくわかりませんが、おそらくLightにSliceするということで薄く削って凸凹を補正するのではないかと思われます(違っていたらすみません)。
もう一つ、「RFD & LITESLICE CAR」と記載があり、RFDは「Rail Flaw Detection System」でレール探傷車のこと、LITESLICEは意味がよくわかりませんが、おそらくLightにSliceするということで薄く削って凸凹を補正するのではないかと思われます(違っていたらすみません)。
車輌中央部の下回りです。
これらを線路に載せて状態を検査すると思われます。
この車両は、両毛線で115系を撮っていた時に発見しました。
その時の写真がこちらです(無理やり同じ画面に入れていますが…)。
その時の写真がこちらです(無理やり同じ画面に入れていますが…)。
保線関係では、ダイムラー(メルセデス・ベンツ)の多目的作業用自動車ウニモグ(Unimog)は一度見てみたいのですがいまだに機会がありませんね。
相模鉄道6000系(かしわ台?)~相鉄とJR東はちゃんと繋がるの? 
1976年(昭和51年)の8月に撮影した相模鉄道旧6000系です。
神奈川在住の父親の友人(某鉄道関係の雑誌社勤務)のところへ遊びに行った時に、海老名の車輌基地に連れて行ってくれたような記憶があります。
たしか、ここにトラバーサーがあったような気がするのですが、実際どうだったでしょうか?
自分はまだ小学生、カメラはOLYMPUS PEN EE3というハーフサイズの固定焦点のものでしたので写りはご容赦ください。
神奈川在住の父親の友人(某鉄道関係の雑誌社勤務)のところへ遊びに行った時に、海老名の車輌基地に連れて行ってくれたような記憶があります。
たしか、ここにトラバーサーがあったような気がするのですが、実際どうだったでしょうか?
自分はまだ小学生、カメラはOLYMPUS PEN EE3というハーフサイズの固定焦点のものでしたので写りはご容赦ください。
そういえば、2015年4月に開始する予定だったJR東日本と相模鉄道の直通運転が3年程度延期されたことは暫く前にニュースになりましたが、その理由は相鉄線とJR東海道貨物線との接続場所の工事の規模や時間を「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」が間違えたからのようです。
きっとJR貨物のことなど頭になかったのでしょうね。
費用も予定より100億円くらい余計にかかるらしいですし大丈夫なのでしょうか?
惜別EF52・DD50・ED70~見たこともないですが… 
以前、「惜別157系」という鉄道車両シールをご紹介させていただいたことがありましたが、そのシリーズです。
おそらく梅小路蒸気機関車館で購入したものだと思われますが記憶が定かではありません。
1975年(昭和50年)に、この3形式が立て続けに引退したのですね。
裏面の開設をみると、EF52は晩年は阪和貨物で活躍、8月24日に「きのくに53号」でさよなら運転を行ったとあります。
DD50とED70は北陸線で活躍、ともに3月で引退とありました。
どれも自分にはほとんど縁のなかった地域で活躍した車輌達でした。
EF58(郵便車付急行列車)~列車名は? 
1977年(昭和52年)10月に京都駅で撮ったEF58牽引の急行列車だと思うのですが、EF58のナンバーも列車名もわかりません。
結構いい加減な撮り方なので、たまたま通った列車にシャッターを切ったと思われます。
拡大してみたところ、1両目の客車がオユ10-2575、2両目の客車がスロ51-2031と読めました。
自分は上越線や高崎線でのEF58(上越型)はそこそこ写真を撮ったのですが、東海道線ではまともな写真がほとんどありませんでした(悔)。
他にもお土産がいろいろ売っていました。
この写真を撮った頃(昭和50年代)、郵便局は国鉄と並んで世間の評判が悪かったですが、今はどちらも民営化(郵政は政府出資のままですが)されて頑張っていますね。
あれ?話が変わってしまいました…
〔5/25 1:35追記〕
多くの方々にご教示いただきこの列車が「きたぐに」ということがわかりました。
スロも51でなく54ということがわかりました。
博学の皆さんのおかげです、ありがとうございました。
調子に乗って申し訳ございませんが、EF58を拡大してみました。
自分にはお手上げですので、何号機かお分かりになる方がいらっしゃればご教示ください。
EF15(上越線貨物列車)~新前橋にて 
1978年(昭和53年)5月に上越線新前橋駅で撮影したEF15 51号機牽引の貨物列車です。
タンク車+車掌車という編成は綺麗なのですが、天気が悪かったようで露出不足で暗部が汚くなってしまいました(悔)。
EF15の製造は202両、若い番号のものはしっかりとナンバープレートが付けられていました。
途中から切り抜き文字になってしまいましたが、やっぱりナンバープレート付の方がかっこいいですね。
そういえば、何号機までがナンバープレート付だったのか調べておりませんでした。
〔5/23 22:50追記〕
調べてみたところナンバープレート最終機は140号機だったようです。
140号機は以前ブログにアップしておりました。
141号機以降が切り抜き文字だったのですね。