A.V.C 64(Series181)
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山手線E231系(笑っていいとも!グランド フィナーレ)~今日まで! 
3月29日に横浜で485系「きらきらうえつ」を撮影した帰りに、「そういえば山手線にタモリさんのラッピング車輌が走っていたなぁ」と思い出して、その車輌を田町駅で待ってみることとしました。
ネットの情報で、当日、走っていることはわかったのですが、内回りか外回りかわからなかったので、とりあえずどちらでも撮れる場所で待機しました。
できれば内回りで来て欲しかったのですが、やって来たのは外回りでした…ちょっと残念。
ヘッドマーク(?)ラッピングがあると、嬉しいですね。
サイドにはこのような表示も…みなさま 32年間 ありがとうございました by フジテレビ。
タモリさんが去って行きます。
本当はこの角度で、フロント側を撮りたかったのですが…
逆向きに追いかけてもう一度撮影しようかなと思いましたが、中央線は人身事故で動いているのか動いていないのかわからないような状態でしたし、帰宅時間も近づいてきていたので、この日はこれを撮って帰ることとしました。
「笑っていいとも!」は、自宅で浪人生活をしていた時に、お昼の時間帯の楽しみとして、大変お世話になりました…それは、昔、昔、あるところに国鉄という会社があった頃のことです。
最近は見る機会も減っていましたが、あまりにも長い間、あって当たり前だったものが、なくなった時、初めてその大きさが実感されるような気がします。
タモリさん、長い間、お疲れさまでした。
国鉄 JR東日本 山手線 E231系 笑っていいとも! タモリ ヘッドマーク ラッピング
485系 (きらきらうえつ)~横浜線の205系との並び 
昨日、横浜駅で撮影した485系700番台「きらきらうえつ」を使用した団体臨時列車の続きですが、5番線に入線して来ましたので、4番線の横浜線205系との並びを撮影してみました。
4番線はホームがカーブしているので205系が斜めになってしまいましたが、去り行く205系の記録ということで…
撮影順は逆ですが、せっかく停車してくれていたので、その4番線側から「きらきらうえつ」を一両ずつ撮影してみました。
天気が良すぎたため、影が見苦しくて申し訳ございません。
先頭から1両目は4号車のクハ485-701でした。
2両目は3号車のモハ485-702です。
3両目は2号車のモハ484-702です。
4両目は1号車のクハ484-702でした。
クハ484-701とモハ484-701は同じ新潟支社の「NO.DO.KA」に使用されているようですが、3両編成の「NO.DO.KA」のもう一両はクモハ485-701で、モハ485-701は存在しないのか見つかりませんでした。
列車はかなり空いていましたね。
他の方のブログを拝見させていただいたところ、実は本日も運行予定があったとのことでしたが、お客が集まらずに中止となったとのことでした。
単に宣伝不足という話もありますが、多くの方は真岡鉄道のC12重連か秩父鉄道のC58初出走でも撮りに出かけられたのでしょうか。
自分は午後2時半頃までに帰宅する必要があったので、真岡への出撃はできませんでした…
JR東日本 国鉄 中央線 東海道線 横浜線 485系 205系 E233系
485系 (きらきらうえつ)~横浜駅にて 
今日の朝は、久しぶりに「北斗星」を撮影に行こうと思って出かけました。
でも、途中でネットを見ていたら、どうも立川~熱海間で485系(700番台)の「きらきらうえつ」による団体臨時列車が走るらしいとのことだったので、急遽予定を変更して立川へ行こうとしたのですが、なんと人身事故とのことで中央線が動いていませんでした。
仕方ないので横浜駅まで行って待つこととしましたが、何番線に入ってくるのかわかりません。
横浜駅に着いた時、たまたま停車中だった485系ジョイフルトレイン「華」と多分同じホームに来るかなと勝手に判断して待つこと約1時間、「きらきらうえつ」が到着しました(これも事故の影響で遅れていたようです)。
この列車が何の団体臨時列車だったのか、正直言ってよくわかりません(汗)。
「きらきらうえつ」は、普段はJR東日本新潟支社が、新潟~酒田・象潟間を白新線・羽越本線経由で運行している快速列車で、関東へ来ることはあまりないので、これまで見たことはありませんでした。
デザイン的には疑問符が付くと思われますが、話のタネにはよいでしょうか(笑)。
JR東日本 国鉄 中央線 東海道線 485系
153系(急行内房)~新宿駅にて 
1979年(昭和54年)1月に新宿駅で撮影した153系急行「内房3号」(103M)です。
この日は、多分、ヨドバシカメラに行くために新宿にいたと思われます。
拡大してみたところ、この車輌はクハ153-4でした。
この日は、多分、ヨドバシカメラに行くために新宿にいたと思われます。
拡大してみたところ、この車輌はクハ153-4でした。
当時の自分は高崎線方面の165系ばかり見ていましたので、153系(それもヘッドマーク付き)は新鮮でした。
急行「内房」は、当時、上下3往復あり、2本が両国~館山間、1本が新宿~館山間を走っていたようです。
写真の急行「内房3号」は、新宿発が10時52分、館山着が13時21分でした。
背景には、京王線新宿駅(京王百貨店)やLUMINE(ルミネ)の看板が見えますが、ルミネってこの頃からあったのですね…田舎者なので知りませんでした~
国鉄 JR東日本 中央線 総武線 内房線 153系 165系 新宿駅
7260形(北総鉄道)~ライバル出現!千葉NT中央~新鎌ケ谷、直行バス運行 
少し古いニュースですみませんが、3月13日の日経WEBにバスvs鉄道の記事が出ていました。
鎌ケ谷観光バスが、北総鉄道の千葉ニュータウン中央駅と新鎌ケ谷駅を結ぶ直行バスの運行を始めるというものです。
北総鉄道の同区間(11.1営業キロ)は運賃が540円(3月時点)なのに対し、直行バスは300円に抑え、通学・通勤客の利用を促すそうです(4月半ば運行開始予定)。
鎌ケ谷観光バスが、北総鉄道の千葉ニュータウン中央駅と新鎌ケ谷駅を結ぶ直行バスの運行を始めるというものです。
北総鉄道の同区間(11.1営業キロ)は運賃が540円(3月時点)なのに対し、直行バスは300円に抑え、通学・通勤客の利用を促すそうです(4月半ば運行開始予定)。
写真は北総鉄道7260形です。北総鉄道の代表バッターとしてアップさせていただきました。
7260形は、京成電鉄の3300形のリース車輌で、現在、この型式で8両編成で運行されているのはこの一本だけですね。
7260形は、京成電鉄の3300形のリース車輌で、現在、この型式で8両編成で運行されているのはこの一本だけですね。
記事によれば、運賃が高い北総鉄道の利用を避けるため、印西市では毎朝10kmも自転車をこぐ高校生や職場近くに引っ越しをされた夫婦もいるとのことです。
運賃の高さを理由として引っ越していく世帯がそれなりにいるのは事実のようですが、沿線人口を増加させたいのであれば、北総鉄道は自ら運賃を引き下げる努力をすることも必要ではないでしょうか。
スカイライナーに線路を貸し出す料金が安すぎる(親会社に文句を言えない?)とかいう話もありますし、急行非停車駅における運行本数が1時間あたり3本しかないという不便さも沿線人口が伸びない原因のような気がします。
今回、一部区間だけではありますが、バスという競合交通機関が生まれれば、北総鉄道にも少しは競争意識が出てくるかもしれませんね。
運賃の高さを理由として引っ越していく世帯がそれなりにいるのは事実のようですが、沿線人口を増加させたいのであれば、北総鉄道は自ら運賃を引き下げる努力をすることも必要ではないでしょうか。
スカイライナーに線路を貸し出す料金が安すぎる(親会社に文句を言えない?)とかいう話もありますし、急行非停車駅における運行本数が1時間あたり3本しかないという不便さも沿線人口が伸びない原因のような気がします。
今回、一部区間だけではありますが、バスという競合交通機関が生まれれば、北総鉄道にも少しは競争意識が出てくるかもしれませんね。
日経WEBの記事はこちら
なお、掲載が不適等のご指摘などがあった場合は速やかに削除いたします。
京成電鉄 北総鉄道 JR東日本 国鉄 鎌ケ谷観光バス 7260形 3300形
両陛下、近鉄「しまかぜ」で伊勢神宮へ 
昨日、天皇皇后両陛下は近鉄の「しまかぜ」(臨時列車)で伊勢神宮へ行かれたとのことです。
JR以外の私鉄の場合は御召列車とは言わないのでしょうか、よくわかりませんが…
記事は「伊勢志摩経済新聞」からです。
天皇皇后両陛下が、昨年の式年遷宮で新しくなった外宮(げくう)と内宮(ないくう)を参拝するため3月25日~28日の期間、伊勢市に滞在する。皇居を出た両陛下は25日、電車を乗り継ぎ近鉄の人気の新型観光特急「しまかぜ」に乗って伊勢に入った。
両陛下は、26日に外宮・内宮を参拝、27日に式年遷宮を記念してできた「せんぐう館」(伊勢市豊川町)、伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」とその居所・斎宮の歴史を紹介する県立の博物館「斎宮歴史博物館」(多気郡明和町)を視察する。
両陛下は、26日に外宮・内宮を参拝、27日に式年遷宮を記念してできた「せんぐう館」(伊勢市豊川町)、伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」とその居所・斎宮の歴史を紹介する県立の博物館「斎宮歴史博物館」(多気郡明和町)を視察する。
「しまかぜ」は昨年3月、近畿日本鉄道(大阪市天王寺区)が伊勢神宮式年遷宮に合

わせ伊勢志摩地域活性化の起爆剤として導入した6両編成の新型観光特急(全138席)。大阪難波駅~賢島駅間を約2時間20分、近鉄名古屋駅~賢島駅間を約2時間で結び、それぞれ1日1往復する(水曜日を除く)。導入から1年を経過したが乗車率は今でもほぼ100%。1カ月前からの座席予約が発売開始と同時に完売するほど人気だ。本革のプレミアムシートは電動のマッサージ機能などが付き、1シート当たり約100万円の開発費を掛けた特別仕様。
今回の訪問で皇位継承の象徴とされ歴代の天皇に引き継がれてきた「剣=草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と「璽(じ)=八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」を持参する「剣璽(けんじ)動座」が、前回の式年遷宮後の参拝以来20年ぶりに行われる。伊勢神宮に納められている「鏡=八咫鏡(やたのかがみ)」と合わせて「三種の神器」がそろうことになる。
両陛下は「しまかぜ」のプレミアムシートに着席し、名古屋から伊勢までの旅を快適に過ごされたご様子で、宇治山田駅で下車されると詰め掛けた伊勢市民に対してにこやかに手を振り伊勢神宮内宮へ向かった。
伊勢志摩経済新聞の記事はこちら
なお、掲載が不適等のご指摘などがあった場合は速やかに削除いたします。
国鉄 JR東日本 御召し列車 近鉄 しまかぜ
日本を支えた鉄道の歴史~男の隠れ家 時空旅人 
昨日、本屋へ行ったらこんな雑誌が目に付いたので、つい買ってしまいました。
◎四季うらら わたしの歳時記
第九回 文◎野田伊豆守 版画◎渡辺トモコ
「眠りから覚めると外は別世界 寝台の旅は季節を再認識させる」
・昭和とともに去った海峡の女王 青函連絡船メモリアル
・日本を支えた鉄道の歴史
■第一章
富国強兵時代と鉄道
国策としての性格が強かった 鉄道黎明期
・明治 鉄道移動の夜明け
明治新政府の英断 官営鉄道建設
・大正 内外で躍進する鉄道事業
列強入りの切符となった 南満州鉄道
・昭和 鉄道と戦時体制
飛躍と崩壊のせめぎ合い 鉄道受難の時代
・アジアや日本に残された
鉄道風景の中に今も垣間見ることができる 戦争の記憶
・旅人の旅情をかき立てる 彩り豊かな地方の駅弁
■第二章
レジャーと通勤の時代
サービスの時代となり鉄道が大衆化した 鉄道最需要期
・昭和 鉄道も高度成長へ 寝台列車の一般化 ブルートレイン全盛へ
・のんびり列車で育む旅の思い出 夜行普通・快速列車
・多目的時代 多様化する列車の用途
〝みんなで移動〟が幸せだった時代 イベント列車の登場
・哀愁ただようスマート車体 ボンネット型車両の過去と今
・あの頃の味と温もりが今も忘れられない……食堂車物語
・さようなら、最後の東北行きブルートレイン あけぼの
・鉄道思い出風景 行商列車
・懐かしい列車と情景を見て学ぶ 思い出に出合う鉄道博物館
・木造駅舎の記憶 文◎米屋こうじ
・追憶の鉄道遺産
碓氷線近代化への高いハードル66.7‰への挑戦
■第三章
高速移動の幕開け
鉄道マンの悲願であった 高速鉄道の実現
・電車新時代 新たな鉄道の未来を模索
電車の速さを知らしめた 特急「こだま」の登場
・開発期 より速くより快適に
夢の超特急 東海道新幹線0系発進!
・発展期 路線網の拡充と増える新機種
鉄道に新たな未来を提案した 新幹線ネットワーク
未来へ 日本の宝、羽ばたく
開業50周年を迎えてもなお 進化は永遠に
・戦局の悪化によって挫折した
壮大な日本縦断新幹線 幻の弾丸列車計画
・大地を駆け抜ける雄姿
輝ける特急とヘッドマークのその由来
第九回 文◎野田伊豆守 版画◎渡辺トモコ
「眠りから覚めると外は別世界 寝台の旅は季節を再認識させる」
・昭和とともに去った海峡の女王 青函連絡船メモリアル
・日本を支えた鉄道の歴史
■第一章
富国強兵時代と鉄道
国策としての性格が強かった 鉄道黎明期
・明治 鉄道移動の夜明け
明治新政府の英断 官営鉄道建設
・大正 内外で躍進する鉄道事業
列強入りの切符となった 南満州鉄道
・昭和 鉄道と戦時体制
飛躍と崩壊のせめぎ合い 鉄道受難の時代
・アジアや日本に残された
鉄道風景の中に今も垣間見ることができる 戦争の記憶
・旅人の旅情をかき立てる 彩り豊かな地方の駅弁
■第二章
レジャーと通勤の時代
サービスの時代となり鉄道が大衆化した 鉄道最需要期
・昭和 鉄道も高度成長へ 寝台列車の一般化 ブルートレイン全盛へ
・のんびり列車で育む旅の思い出 夜行普通・快速列車
・多目的時代 多様化する列車の用途
〝みんなで移動〟が幸せだった時代 イベント列車の登場
・哀愁ただようスマート車体 ボンネット型車両の過去と今
・あの頃の味と温もりが今も忘れられない……食堂車物語
・さようなら、最後の東北行きブルートレイン あけぼの
・鉄道思い出風景 行商列車
・懐かしい列車と情景を見て学ぶ 思い出に出合う鉄道博物館
・木造駅舎の記憶 文◎米屋こうじ
・追憶の鉄道遺産
碓氷線近代化への高いハードル66.7‰への挑戦
■第三章
高速移動の幕開け
鉄道マンの悲願であった 高速鉄道の実現
・電車新時代 新たな鉄道の未来を模索
電車の速さを知らしめた 特急「こだま」の登場
・開発期 より速くより快適に
夢の超特急 東海道新幹線0系発進!
・発展期 路線網の拡充と増える新機種
鉄道に新たな未来を提案した 新幹線ネットワーク
未来へ 日本の宝、羽ばたく
開業50周年を迎えてもなお 進化は永遠に
・戦局の悪化によって挫折した
壮大な日本縦断新幹線 幻の弾丸列車計画
・大地を駆け抜ける雄姿
輝ける特急とヘッドマークのその由来
内容的には、昔、本で読んだようなことが多く、それぞれは短編で詳細な記述がある訳ではありませんが、最後の「輝ける特急とヘッドマークのその由来」に、ヘッドマークが沢山紹介されていたことにつられてしまいました(笑)。
定価は税込み780円(4月からは802円?)です。
出版社(三栄書房)のサイトはこちら
なお、自分は出版社の回し者ではありません(笑)。
JR東日本 国鉄 鉄道の歴史
1000系(秩父鉄道)~101系のラストランでしたね。 
既にタイムリーな時期を逸してしまいましたが、秩父鉄道の1000系〔旧国鉄101系〕(1003F)が3月23日の運行で惜しまれつつ引退となりました。
皆さんのブログを拝見して、やっぱりこれは記事に書いておきたいなと思ったのですが、自分には1003Fの写真がありませんでしたので、同じく先月に引退した1010Fの写真をアップさせていただきます。
皆さんのブログを拝見して、やっぱりこれは記事に書いておきたいなと思ったのですが、自分には1003Fの写真がありませんでしたので、同じく先月に引退した1010Fの写真をアップさせていただきます。
撮影は2013年10月4日、この時は「さよなら1001F」のヘッドマークを掲出しておりました。
そして、こちらが同じ日に撮影した青い車体の1001Fです。
これらの写真は、昨年10月、田舎へ帰る途中に秩父鉄道へ立ち寄った際に撮影したもので、この日は1003Fに会うことはできませんでした。
それでも、この時は滞在時間が1時間程度と短かった中で、101系が2回撮れたのはラッキーだったというべきなのでしょうね。
50年にわたって活躍した国鉄101系、長い間大変お疲れ様でした。
国鉄 JR東日本 101系 103系 秩父鉄道
583系(わくわくドリーム号)~205系との並び 
先週土曜日に撮影した583系「わくわくドリーム号」です。
家の近くを走ってくれるのでできるだけ撮りに行くようにしておりますが、今回は205系とほぼ横並びの写真が撮れましたのでご紹介させていただきます。
この辺りですれ違うのは知っておりましたが、ともに走行中の583系と205系がこのようにほぼピッタリ並んでくれるのは初めてでした。
同じ並び写真ということで、昨年12月に撮影したものもアップさせていただきます(再掲)。
全然関係ありませんが、近くの公園では早咲きの桜が満開になっていました。
引退の噂が出ている国鉄色583系ラスト編成ですが、まだまだ頑張ってもらいたいです。
噂はガセであって欲しいですね。
JR東日本 国鉄 武蔵野線 583系 わくわくドリーム 205系