A.V.C 64(Series181)
Audio.Visual.Camera...
EF65(2101号機)~ダブルで残念でした 
今回は昨日の配8592レをご紹介させていただきます。
EF65 2101号機がヨ×2+コキ×3を牽いて来ました。
車番はヨ8891とヨ8625、コキは…見ていませんでした。
この列車はいつも逆側から撮影するのですが、昨日は自分が行った時点で既にカメラマンが2人いたので、蜜を避けるためにこちら側で撮影しました。
ただ、後部が常磐線のE231系に裏被りしてしまったことと、これより後のコマは手前の千代田線に被られてしまったことはダブルで残念でした。
JR貨物 JR東日本 配給列車 EF65 PF ヨ8000 コキ E231系 常磐線
209系(1000番台)~この場所もあと僅か!? 
今回は、209系(1000番台)をご紹介させていただきます。
先週、飯田橋の病院へ行った帰りに運用を調べてみたら10分ほど待てばトタ82編成が来ることがわかったので撮影して来ました。
飯田橋ホームは、新宿寄りに直線部分を延長して水道橋寄りの曲線部分を廃止することが決まっていますので、この場所で撮れるのもあと僅かかもしれません。
妨害物が沢山あるので撮影に適した場所とはいえませんが…
病院は月一で行っていますが、先月はなかった検温&消毒が必須とされていました。
(入院患者への面会は先月から禁止されていました。)
手術服?を着た看護師さんが入口で待ち受けていてちょっとビックリしましたが、院内感染が起きると大変なことになるので、まだ暫くはこのような警戒体制が続くのでしょうね。
JR東日本 国鉄 中央線 快速 209系 1000番台 トタ82 トタ81
WE ARE THE WORLD(USA for AFRICA)~35年後の今 
今日、テレビを見ていたら「WE ARE THE WORLD」が流れていました。
「WE ARE THE WORLD」は、1985年前後に深刻化していたアフリカ飢餓救済のためのチャリティソングで、アメリカのトップアーティストが無償で集結し、「USA for AFRICA」としてリリースした曲です。
リリースは1985年3月28日、作詞・作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー、プロデューサーはクインシー・ジョーンズでした。
(B面はクインシー・ジョーンズの「GRACE」という曲が収録されています。)
コロナ禍に世界が揺れている35年後の今、あらためて聴いてみたくなりレコードを引っ張り出して来ました。
自分が持っているのは12インチのスペシャル・ロング・バージョンです。(拡大可)
参加アーティストは以下のとおりでした。
〇アル・ジャロウ 〇ウィリー・ネルソン 〇ウェイロン・ジェニングス 〇キム・カーンズ 〇クインシー・ジョーンズ(プロデューサー及び指揮) 〇ケニー・ロギンス 〇ケニー・ロジャース 〇ジェフリー・オズボーン 〇ジェームス・イングラム 〇ジャッキー・ジャクソン 〇シンディ・ローパー 〇シーラ・E 〇スティーヴィー・ワンダー 〇スティーブ・ペリー 〇スモーキー・ロビンソン 〇ダイアナ・ロス 〇ダリル・ホール&ジョン・オーツ 〇ダン・エイクロイド 〇ディオンヌ・ワーウィック 〇ティト・ジャクソン 〇ティナ・ターナー 〇ハリー・ベラフォンテ 〇ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース 〇ビリー・ジョエル 〇ブルース・スプリングスティーン 〇ベット・ミドラー 〇ポインター・シスターズ 〇ボブ・ゲルドフ 〇ボブ・ディラン 〇ポール・サイモン 〇マイケル・ジャクソン 〇マーロン・ジャクソン 〇ライオネル・リッチー 〇ラトーヤ・ジャクソン 〇ランディ・ジャクソン 〇リンジー・バッキンガム 〇レイ・チャールズ
ライナーノーツです。(拡大可)
ライナーノーツの一部を読み取りましたので興味がある方はご覧ください。
さて、次に事の起こりを御説明いたします。すべては、今回スポークスマンをつとめているハリー・ペラフォンテ氏の行動から始まりました。氏は当時を振り返ってこう述べています。-「私は、昨年アフリカの現状を伝える映画を見て、人きなショックを受けました。そこに映し出された状態は、
実に悲惨なものでした。その日以来、私は眠れない夜が続き、仕事にも身が入らず、ずっと一つのことばかり考えていました。つまり、"何かアフリカの人々のために役立つ方法はないだろうか″と。そんな時に、イギリスの『バンドエイド』を知ったのです。そこで、真剣に思ったのです。"彼らは人間としての同志愛の精神でこれをやっている。なぜここ(アメリカ)ではそれができないんだ?″」
まず、氏はクリスマス休暇中のケン・クレイガン氏を訪ねました。ライオネル・リッチー氏と、ケニー・ロジャース氏のマネージャーであるクレイガン氏は、その場でライオネル・リッチー氏に連絡を取りました。リッチー氏も又、アフリカ飢餓救済のために行動を起こそうとしていた人の一人です。
リッチー氏は、レコーディング・プロデューサーのクインシー・ジョーンズ氏に電話で参加を呼びかけ、ジョーンズ氏はマイケル・ジャクソン氏に、アイデアとしてリッチー氏と共作で曲をつくらないかと提案しました。答は述べるまでもありません。こうしてハリー・ベラフォンテ、ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、3氏のアーティストの核が生まれ、3氏の依頼でケン・クレイガン氏は、イベント・プロデューサーとしての任務を引き受けて、他のアーティストヘの呼びかけに着手したのです。この問、わずか数日のことでした。
年の明けた1月22日、ベーシックな演奏の録音が、ケニー・ロジャース氏の所有するライオンシェア・スタジオで行われました。参加アーティストは、マイケル・ボディッカー(キーボード)、グレッグ・フィリングインズ(キーボード)、ルイス・ジョンソン(ベース)、ジョン・ロビンソン(ドラムス)、スティーヴ・ポーカロ(キーボード)、デビッド・ペイチ(キーボード)の6氏でした。
そして、歴史的なボーカル・セッションの録音が行われる1月28日が来ました。それまでの呼びかけに応えて、ロサンゼルスのA&Mスタジオに一堂に会したスーパー・スターの人たち45人。何人かのアーティストは『アメリカン・ミュージック・アウォード』のTV中継終了後に駆けつけ、イギリスからは、あの『バンドエイド』の発起人であるボブ・ゲルドフ氏が飛行機で参加してくれました。
夜10時、クインシー・ジョーンズ氏の意見で、45人のアーティストが全員でユニゾンと、ハーモニーのパートを録音しました。コーラスの間のソロ・ボーカルの録音は、約20人のアーティストによって午前4時に始まり、1月29日、午前8時、ようやくすべてのレコーディングが終了、ここに『WE ARE THE WORLD/USA for AFRICA』が完成したのです。参加アーティストであり、発起人の一人であるライオネル・リッチー氏は、この直後にこうコメントしています。-「この夜の最もシリアスなテーマは、歌詞の中に見られる"そこでは人々が死んでいっている…″ということです。それに対して、昨日からここに集まった全員のアーティストが確かに何かをやったのです。』
では、何かとは何でしょう? 色々な価値観から、おのずと答は違ってくるとは思います。しかし、私たち『USA for AFRICA』はこう考えます。
重要なのは゛答を考える″ことでなく、゛行動する″ことにあるのではないだろうか、と。その意味で、今、手にされているレコードは、まぎれもなくその行動の集積です。そして、その価値を認め、購入いただいたあなたこそが、今回のチャリティの最大の『行動者』であります。アフリカを救うために結成されたグループ、United Support of Artists for AFRICAの歌う『WE ARE THE WORLD』、これは一つのメッセージです。皆様の一人一人が、この言葉の持つ意味と重さを充分に感じて下さることを祈ってやみません。
最後に歌詞を載せておきます。
There comes a time when we heed a certain call
When the world must come together as one
There are people dying
And its time to lend a hand to life
The greatest gift of all
We can't go on pretending day by day
That someone, somewhere will soon make a change
We are all a part of Gods great big family
And the truth, you know,
Love is all we need
(CHORUS)
We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So lets start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
Its true we'll make a better day
Just you and me
Send them your heart so they'll know that someone cares
And their lives will be stronger and free
As God has shown us by turning stones to bread
So we all must lend a helping hand
(REPEAT CHORUS)
When you're down and out, there seems no hope at all
But if you just believe there's no way we can fall well well well well
Let us realize, oohh that a change can only come
When we stand together as one
(REPEAT CHORUS)
Posted on 2020/05/16 Sat. 19:26 [edit]
category: Audio & Visual
3100形 & 1形(箱根登山鉄道)~試運転開始! 
このところ暑くなってきてマスクをするのが辛くなってきました。
アベノマスクくらい透過率が高ければ良いのでしょうが…(某大学で調べたところ透過率はほぼ100%とのことです!)
通勤電車は窓を開けるようになって来ていますが、夏になると冷房も効きにくくなるでしょうし、昭和40年代までの通勤電車っぽくなるかもしれませんね。
さて、ニュースとしては遅くなりましたが、昨年秋の台風19号の影響で箱根湯本~強羅間で運休が続いている箱根登山鉄道が、5月11日から箱根湯本~大平台付近で試運転を開始したとのことです。
営業運転再開は7月下旬を目途としているそうです。
写真は、2019年7月18日に撮影した3100形アレグラ号と1形103-107編成です。
この日は103-107編成の定期運行終了日でした。
火山活動、台風、コロナ禍と苦難が続いている箱根ですが、7月の営業運転再開時までには状況が劇的に改善されているとよいですね。
箱根登山鉄道 箱根 3100形 1形 103 107 小田急
489系(特急はくたか)~ボンネット&ショッカーHM 
このところ機関車(電機・蒸機)の記事が続いていたこともあり、今回は久しぶりに電車の写真をご紹介させていただきます。
489系の特急「はくたか」ですが、ボンネット型&ショッカーHMの編成でした。
場所は上越線越後中里、1979年(昭和54年)5月の撮影でした。
181系特急「とき」やEF58牽引の臨時急行「佐渡」を撮りに行った時のついで撮影だったと思いますが、今なら激パになるような編成ですね。
友人が写っているネガがあるので、そいつともう一人の友人と3人で行ったと思うのですが、この日のことはほとんど覚えておりませんでした。
非鉄時代が長かったこともあり、写真がなければ行ったことすら忘れていたかもしれません。
写真があることで記憶を僅かでも呼び戻すことができますね。
JR東日本 国鉄 489系 はくたか 上越線 越後中里 181系 とき EF58 佐渡 臨時列車
EF510(510号機)~寝台特急「カシオペア」 
GWのオマケ休暇も今日までですね…といっても交代での在宅勤務は変わりません。
アフターコロナ時代は、非三蜜が当たり前になると言う人もいます。
ただ、それも会社規模や業務内容によるでしょうから180度転換できるとは思えませんが、全く変わらないということもないでしょう。
気になるのは、今回のコロナ禍で生じた事象に日本は発展途上国だったのかと思うことが幾つもあったことです。
感染症対策やIT活用の遅れ、買い占めや自粛警察といった民度の低さ…先進国とは思えません。
日本赤十字社は、ウイルスの次にやって来るものは恐怖だとして、恐怖によって人と人とが傷付け合い社会を分断する危険性を説いています。
日本人は親切だという話を聞いたりしますが、決してそんなことはなく、日本人はいじめ体質や差別意識が強いのだと思います。
そうでなければ、同和問題などというものはそもそも存在して来なかったはずです。
切りがないので、この辺りで止めておきますが…
さて、今日は5月10日ということで、久々にEF510 510号機の写真をご紹介させていただきます。
509号機と510号機はE26系客車と同じ銀色で、この2機が牽引する寝台特急「カシオペア」は正調編成とされとても綺麗でしたね…と言いつつ顔のアップです。
撮影は2015年4月でした。
定期運行の「カシオペア」が廃止されてもE26系客車はまだ廃車にならないと思ったので、銀釜2機はJR東日本に残ると勝手に考えていたのですが、翌年4月初旬にJR貨物へ譲渡されてしまったのは残念でした。
JR東日本 JR貨物 国鉄 寝台特急 カシオペア 北斗星 EF510 E26系 客車 臨時列車
EF59(重連)~押してます! 
今日は5月9日なので日付ネタのEF59をご紹介させていただきます。
瀬野八(セノハチ)補機として有名なEF59ですが、自分は一度しか行ったことがなく撮影した写真は既にほぼアップしてしまったこともあり、今回は上から目線で撮ったこんな「押してます!」写真ですみません。
撮影は1980年(昭和55年)7月でした。
2両ともEF53改のEF59ですが角度的に車番はわかりません。
手前の屋根はコキフだと思いますがこれも形式はわかりません。
(時期的にコキフ50000かな?)
JR西日本 JR貨物 国鉄 EF59 EF53 セノハチ 瀬野八 コキフ
EF64(1052号機)~昼休みに撮影 
一昨日をもって異例のGW(SHW)が終わりましたね。
一週間以上の期間にわたり、外出したのはスーパー、コンビニ、ドラッグストアくらいでしたが、食べる量は普段より多くなってしまいウエストが更に太くなったようです。
昨日も在宅勤務で通勤はしませんでしたが、昼休みの時間帯に長野工臨の発送があったのでちょっとだけ見学に行ってきました。
牽引機は、EF64 1052号機でした。
最初は新小岩で発車待ちの姿を撮ろうと思ったのですが、途中で交通事故があり通行規制がされていたので此処までしか辿り着けませんでした。
撮影後、昼休み終了までに仕事に戻りました。
JR東日本 EF64 EF641052 JR貨物 工臨 臨時列車 コロナ ウイルス 緊急事態宣言
C61(20号機)~107系との並び 
5月も今日で一週間経ちますが、今年はコロナ禍により蒸機もその他臨時列車も軒並み運休となったので撮りたいものもなく1回もシャッターを切っておりません。
何日もかけて部屋の掃除をしたのは苦痛でしたが、2~3年前に買ってそのまま埋もれていたマスクが3枚発掘されたのはラッキーでした。(^^)
さて、そんな訳で今回は2016年5月7日に撮影したC61 20号機と107系の並びの写真をご紹介させていただきます。
撮影は新前橋駅、107系(R8編成)は回送幕で停車中、C61 20号機「SLレトロみなかみ号」がホームを出て行くところでした。
現在は「SLぐんまみなかみ号」と名称が変わりましたが、旧型客車でも「レトロ」とは付かないようです。
そういえば旧客はリニューアルされたのですよね。
まだ見たこともないですが…
JR東日本 国鉄 C61 C6120 107系 上越線 ヘッドマーク 臨時列車 回送列車
EF56(2号機)~高崎第二機関区にて 
今日は5月6日なので日付ネタのEF56をご紹介させていただきます。
場所は実家からそれほど遠くない高崎第二機関区ですね。
今回はFather's書庫からの写真で、実は8年前のものの再掲ですが現像をやり直しました。
EF56といえば宇都宮所属のイメージがありますが、1号機は1963年9月~1969年12月まで、2号機は1963年9月~1969年12月まで、高二に所属していたことがあるとのことです。
高二のEF56は、2両とも1969年12月に鷹取工場で改造され、1号機はEF59 20号機に、2号機はEF59 21号機になりました。
自分は、1980年に瀬野八(セノハチ)を訪問したことがありましたが、その時はEF53改のEF59にしか出会えず残念に思った記憶があります。
なお、このEF56 2号機(EF59 21号機)は、JR貨物の広島車両所で保存されているとのことで、自分が生きているうちに一度会ってみたいものです。
国鉄 JR東日本 高崎第二機関区 高崎 EF56 EF53 EF59 瀬野 八本松