A.V.C 64(Series181)

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庶民の足から観光鉄道へ 電気機関車の復活を目玉に  

昨日の日経Webの記事からです。
上信電鉄、頑張っているようですね。
 
2014年の世界文化遺産登録を目指す群馬県富岡市の富岡製糸場。高崎駅(高崎線)と製糸場を結ぶのが、1895年(明治28年)創業の上信電鉄(群馬県高崎市)だ。沿線の人口減など地方鉄道共通の悩みを抱えながらも、観光鉄道として生き残りを目指している。運転士出身で現場に精通する社長の笠原道也は次々と新たなアイデアを生み出すなど社員の先頭を走る。

■運転士など経験
笠原が地元の高校を卒業して上信電鉄(当時は上信電気鉄道)へ入社したのは1963年。通勤・通学の足は主に電車で「朝は人が乗りきらず、荷物を置くスペースに無理やり詰め込んでいた」。
(中略)
しかし、自家用車の普及や沿線人口の減少で、上信電鉄の輸送人員は右肩下がりで落ち込む。笠原が社長に就いた05年度には年間231万人と、66年のピーク時に比べて3分の1以下になっていた。社長就任後には05年から3年連続で脱線事故もおこした。「ベテラン社員の大量退職で技術の継承がうまくいかなかった」と悔やむ。
■社員に意識改革
厳しい環境は現場主義の笠原を奮い立たせた。まず社員の意識改革に手をつける。運転士や技術者にはすべての行為について指さしによる確認を徹底させ、線路などの検査も見直した。その後は大きな事故は起こしていない。
(中略)
地方鉄道の経営は全国的に厳しい。上信電鉄も路線維持のために群馬県などから補助金を受けているのが実情だ。笠原は「観光鉄道に生まれ変わらないと生き残れない」と断言する。
観光鉄道化の目玉の一つが、24年に導入された「デキ1形電気機関車」の復活運行。「上州のシーラカンス」と呼ばれ、鉄道ファンに根強い人気を持つ。年に数回、イベントなどで走らせると通常にはないにぎわいを見せる。
(中略)
精力的に動き回る笠原だが、役員定年の70歳は目前だ。富岡製糸場の世界文化遺産登録は自らにとっても「最後で最大のチャンス」。都内の旅行会社などを回って、旅行プランを売り込む日々が続く。100年以上続いた会社を存続できるか。笠原の挑戦は続く。
 

の写真は、自分が1979年(昭和54年)8月に高崎駅で撮ったデキ3(再掲)です。
デキの走行写真もあったはずなのですが、まだ見つかっておりません(謝)。

 
そういえば、群馬で育ったくせに富岡製糸場へ行ったことがなかったなぁ。
 
日経Webの記事はこちら(無料登録でも読めます。)
なお、掲載が不適とのご指摘などがあった場合は速やかに削除いたします。
 

 
 
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Posted on 2013/01/12 Sat. 08:49 [edit]

category: その他

tb: 0   cm: 2

コメント

No title

こんばんは

高崎駅構内に置いてあるデキを実家に帰省するたびに見ていましたが
1度も撮影することはありませんでした、いつでも撮影できると思っているうちに帰省も電車から車に変わってしまいました。
車社会群馬県の中で頑張っている上信電鉄にエールを送りたいと思います、フレー、フレー上信電鉄!!

URL | pajero4900 #79D/WHSg
2013/01/13 21:35 | edit

No title

pajero4900さん

こんばんは。
いつでも撮れると思っていて消えていった車両が沢山あります。
上信電鉄のデキは自分も久しく見ていないので、
動くうちに見に行きたいですね。
富岡製糸場が世界遺産に登録されれば観光客も増えるでしょう。
頑張ってほしいですね。

URL | SL-10 #79D/WHSg
2013/01/14 00:44 | edit

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